子供の喧嘩で、教えるべきこと
基本的に私には、ごめんなさいやありがとうは強要するものではないし、
大ケガにならない限り、子供同士の喧嘩に大人が口を挟むべきではないという考えがある。
(ここで意味する子供とは、3歳を過ぎて言葉で意思疎通をはかれる年齢を指す)
些細な事が原因の喧嘩は、その場でどちらかが悔しくて泣いていても、
時間がたつと案外ケロッとしているものだし、どちらにも言い分がある。
だからたとえ相手が泣いていたとしても、「ごめんなさいしなさい!」などと
謝ることを強要すべきでないと思っている。
もちろん、親として相手のお子さんや親御さんに謝ることは多々あるし、
娘に謝罪を促すことはする。
だが どうやらこの考えは少し異質らしい。
世間では嫌々ながら子供に謝らせている場面をよく見る。
無理矢理 謝らせているのは本当は誰のためでしょう?
その子のため?相手の子供さんのため?
いいえ、第三者から見ると それは単に親御さんの世間体のために見えてしまいます。
謝らない=悪い子=悪い親
そんな図式が浮かび上がってきます。
では子供に教えなければいけないことは何でしょう?
まず一つは謝る行為ではなく、なぜ謝る必要があるのかということです。
泣かせた=謝る というのは、少し短絡的な気がします。
私個人の考えですが、『ありがとう』と『ごめんなさい』は社会でお互いが
気持ち良く生きていくための秘訣だと思っています。
本心から出たこの言葉を聞いて嫌な気持ちになる人はいないはずです。
だから娘にもそう教えています。
周りの人と仲良くしたいと思うのなら、悪いことをしたなと思ったら
ごめんなさいをすること。
嬉しいなぁと思ったら、ありがとうを伝えること。
それが社会で気持ちよく生きていくためのマナーだと。
そして、その姿勢を私自身が見せるよう心がけています。
強要するのではなく、あるべき姿を見せることです。
では、その本心とはどこから生まれるのでしょう?
相手を泣かせてしまった時に、もう一つ子供に教えなければいけないことは
なぜ相手が泣いているのかを考えさせることです。
それは「痛くてないているよ」と答えを教えるのではなく、
「これを取られたらどう思う?」「こうやってされたらどんな気持ち?」と
本人の気持ちと照らし合わせて、相手の気持ちを想像させることです。
自分が痛いことは相手も痛い。
自分が悲しいことは相手も悲しい。
これは教えていかなければ、気付かない・わからないことです。
自然にわかるようになると思っているのは、大人の勝手な思い込みです。
自分がされたら痛い(悲しい) → 相手も痛い(悲しい) → だから泣いている
本人の気持ちと重ねることで やっと悪いことをしてしまったと実感するのではないでしょうか?
もちろん素直に謝るかどうかは、人それぞれです。
でも、教え続け、親が姿勢を見せることによって、子供は学ぶように思います。
これらの行為が、思いやりの気持ちを育む一歩になればと思っています。
長い文章、最後まで読んでくださって、ありがとうございました
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